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Betelgeuse's Diary

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護国藷(ごこくいも)、茨城一号(いばいち)。第二次世界大戦中のトラウマなサツマイモ品種はどれほどまずいのだろう?

飼料用・アルコール製造用のサツマイモ品種が、食糧難だった第二次世界大戦中から戦後にかけて食用にも栽培されていました。

皮が淡い紅色で縦溝があり、中身が淡い黄色の「沖縄百号」おきなわひゃくごう
161p1.jpg画像元

皮が淡い黄褐色で丸く、中身が黄白色の「護国藷」ごこくいも
pre_02.jpg画像元


茨城1号(イバイチ)[archive]、などです。

※イバイチはイモや地上部の姿の画像資料がWeb上には無いようです

なお、第二次世界大戦前にも、とてもおいしい尼崎の名産サツマイモ品種「尼いも」がありました。
赤皮の品種や白皮の品種があり、おもに赤皮のほうが大阪一帯に知られていたそうです。
図説 尼崎の歴史-近代編[archive]

それまでは輪切りにした川越いもを鉄板で焼いていたのが、尼いもが出始めると蒸して売るのです。赤い尼いもは皮が薄く、ぱっくりとふたつに割ると中は半透明の白い肉で、甘くてとろけそうなその味は「今の薩摩いもよりずっとおいしかった」と、食べたことのある人はみな声を揃〔そろ〕えて言います。


尼いもは1934年の室戸台風で壊滅し、戦後に再興されたものも1950年のジェーン台風で壊滅したと記載されています。


戦時中は日本全国で、「沖縄100号」「護国(高系4号)」など収穫量の多さがとりえの品種が植えられることになります。
忘れられた食糧難時代の恩人~中国でも広く普及~サツマイモ「沖縄100号」の松永高元 [archive]

沖縄100号は昭和9年に世に出ている。だがこの品種が有名になったのは食料難が深刻になってからである。なにしろ肥料不足の時代に、 これほど多収な作物はほかにない。13年に育成された護国とともに、急速に全国に普及していった。22年には両品種で12万4千ヘクタール、 全国栽培面積の36パーセントを占めたほどである。



沖縄100号はのちに中国で「勝利100号」と呼ばれています。
赤い夕陽と大学イモ[archive]

その後沖縄100号は、1949年に中華人民共和国が成立すると政府は『勝利100号』と改称、大々的な普及運動を始めた。収量が極めて多くて栽培もやさしかった勝利100号は1951年に中国農業部徐州甘藷研究中心でさらなる品種改良が加えられて、現在華中での主品種の勝利100号として根ずいて行く。江蘇省・山東省両農業科学院主編『中国甘薯栽培学』(上海科学技術出版社、1982)によると、一時は華中北のサツマイモ畑の3~5割もが勝利100号であった。勝利100号の銘銘は、当時の国家スローガンが団結、勝利であったためである。


なお、沖縄100号の味はいくらか良いほうだったようです。
サツマイモのお話し 昔のサツマイモ及び在来品種 2 [archive]

皮の色は淡い紅色で、肉色は淡い黄色です。
肉質は粘質で、条溝があります。
沖縄の風土では、早堀で多収、味もかなりいいです。
他の地域では、味は落ちますが、極めて多収で栽培が容易です。


くわっちーさびら 芋の時代[archive]

もう〈沖縄100号〉は消えてしまったが、その味を知る人に訊くと、評価は各人各様だ。確かに今 は美味いサツマイモは多いし、紅芋のようにお菓子やアイスクリームにその姿を変えることもいいが、 私はもう一度小学生の頃の〈沖縄100号〉の味を噛みしめてみたい。


東京都青果物商業協同組合のホームページ『八百屋へ行こう!』[archive]

今は市場には出ていないと思いますが、かつて、「沖縄100号」、「護国藷(ごこくいも)」という品種がありました。「沖縄100号」は、終戦後の食糧難を救ってくれた品種です。大きな丸いいもで、非常によくとれる。粉質ではなく、やや水っぽくて、当時でもおいしいとは思えませんでした。とにかく多収なので、食料統制の時代、どこの農家でもこれだけは必ず作っていました。「護国藷」も多収性です。これから食糧難が来たら、またこうしたいもに注目が集まるかもしれません。




ということで、誰もがマズいと評価する「戦時中のサツマイモ」とは大部分が「護国」や「イバイチ」のようですね。

評価を見ていると、加熱しても甘くならない点が不評の原因。

サツマイモはゆっくり加熱すると60℃前後で酵素のβアミラーゼが働いて甘くなりますが、βアミラーゼがそもそも無い品種もあります。アルコール用途はこういった品種だったようです。
焼き芋用の品種と最近の品種開発動向(pdf)[archive]

② 出来るだけ多くのβ-アミラーゼを含むこと。
この酵素が無いと、サツマイモは加熱調理しても甘くなりません。サツマヒカリやオキコガネなどのβ-アミラーゼを遺伝的に欠く品種は、コロッケ調理や製パン添加物などの用途には向いていますが、甘くならないので、普通の焼き芋には向きません。



日本いも類研究会 さつまいも品種詳説 護国藷(ごこくいも) [archive]

(6)用途
 でんぷん原料用、飼料用品種。




護国のまずさについて
短歌随想(まずい芋うまい芋) 八王寺だより/ウェブリブログ [archive]

家の中で薩摩芋をふかす匂いがするのもいやでした。ところが年を取ってくると、便秘気味になり、繊維の多いものを食べる必要に迫られました。最近は紅あずまとか阿波金時などうまい薩摩芋が出ていると聞いて、半信半疑で食べてみました。なるほど、子供のころ食べさせられたのとは大違いでした。考えてみると、子供のころ食べた薩摩芋は、味よりは量というので、芋は大きいが水っぽくて甘みのない、護国芋、国を守る芋と名付けられたもので、まずいのは当たり前でした。

(※太字引用者)




茨城一号(イバイチ)のまずさについて
http://www.jrt.gr.jp/diary/nikki_06.html[archive]

甘藷農林1号の生みの親として知られる元農林技官、小野田正利氏も『さつまいもの改良と品種の動向』(いも類会館、昭和49年)で、「いもは巨大なる紡錘形のもの多く、稀に下膨紡錘ともなる。肉色は鈍白色、肉質は極軟質で粘質性である。既存品質中、品質劣悪の品種である」ときめつけられている。太れるだけ太らせた巨大な沖縄100号(昭和9年育成)も悪評高かったが、これはもともとは早掘り用の食用イモとして育成されたものだけに、まだ救いがあった。ところがイバイチは最初から工業原料用のイモとして育成されたもので、味は問題にしなくてよいものだった。


http://www.jrt.gr.jp/diary/nikki_11.html[archive]

軍国主義時代の日本の悩みは近代戦に不可欠なガソリンの極度の不足だった。そこでサツマイモとジャガイモから燃料用の無水アルコールを作り、ガソリンに混入することになった。
 1937年、そのための「アルコール専売法」が制定され、年産2万石(3700キロリットル)規模の国営アルコール工場の建設が全国の主要いも類産地で始まった。関東では千葉市と茨城県の石岡に建設され、1938年から操業を開始した。
 両工場とも原料はサツマイモで、品種の中心は「沖縄100号」と「茨城1 号」だった。


ただ食べてみるとまずかった。あま味もうま味もない、べチャべチャの「水いも」だった。特に「イバイチ」と呼ばれていた茨城1号はひどく、のどを通るようなものではなかった。


藤澤勘兵衛と研究学園都市の概成(安部奎輔)、17ページ[魚拓]

「茨城」と言えば東京人の抱くイメージは芋であります。東京では「駄埼(ださい)」に続いて「茨城のイモ」が蔑称となり、茨城県民には甚だ不愉快な言葉となっています。このことに関しては、ここの地方史に
 戦時中アルコール原料のデンプン専用として、多収穫目的に品種改良された甘藷「茨城一号」を、食用として買った人がかなりあって、その不味さに驚き、「茨城のいば一」として悪名を高めた。
と、記載されています。決して売ったとは書いていないところが、茨城県の茨城県たるゆえんでしょう。

戦後の食糧難時代に「茨城一号」が多大の貢献をしたことは事実です。ご存じの方は年配になりましたが、茨城一号は図体が大きくて腹の足しにはなったのですが、その味が後々までたたって、茨城県というと「茨城一号」の味が食糧危機の時代と共に思い出され、いまいましさを後世に遺したのです。

しかし、昭和二十一年四月の新聞には、苗床からのイモ泥棒が横行し、植え付けを前に種イモ飢饉になっていると県下で報じられているように、「茨城一号」はモテたのです。なにしろ、GHQの食糧生産課長が、この四月に、「狭い日本では米より収穫の多いイモを主食にせよ」と記者団に語ったほど、「茨城一号」は食糧危機とともに脚光を浴びたのです。中村隆英は「昭和史」に、「事実、日本人の生活がもっとも苦しかったのは、この年(一九四六)の前半期であったかもしれない」と記しています。





現在
護国藷は、2003年にはまだ奈良県十津川(とつかわ)村にあったそうです。現在は残っているのでしょうか?
奈良県南部でのいもサミット(平成15年1月30日) [archive]

生いもでびっくりしたのは十津川村の所だった。そこには「護国藷」(ごこくいも)そのものと、それで作った白干し、ゆで干しがあった。
 護国藷は昭和13年にご三重県農事試験場が世に出した「多収いも」だった。昭和の軍国主義時代のわが国は、石油不足対策の一つとしていも類、とくにサツマイモに着目した。それから燃料用アルコールを作り、ガソリンに混入してその節約を図ろうというわけだ。
 護国藷は東海地方から九州にかけての温暖な地で盛んに作られた。そこでは作りやすく、収量も多かった。アルコール原料にも食料にもいい便利ないもで、文字通り国をまもるいもだった。ちなみに当時の関東・東北での多収いもの代表は「沖縄100号」だった。
 それにしても今なおその護国藷があったとは驚きだった。こういう所は全国にもそうはあるまい。会場に詰めていた十津村役場の職員にこのいものことを聞いてみると、こういうことだった。
「護国藷は一昨年までは方々にありました。農産物の品評会にそれが何点も出ていました。ところが去年のことです。どうしたわけか護国藷なんかやめた。もう作らないとなってしまいました。それでも八十のあるお婆さんだけはやめずに作りました。ここにあるのはそのお婆さんのものです」
 わたしが見た護国藷は、今まさに幻になろうとしているものだったわけだ。そこで午後の講演の時、このいもの歴史のことも付け加えた。十津用村役場の人も、そういういもなら残すようにしましょう。まだ間に合いますと言ってくれた。







戦時中の体験談で「サツマイモがまずかった」というとき、どんな形のどんな色のどんな味のイモだったのか、詳細に語られていないことが多いようです。

現在おなじみの、皮が赤くて中が黄色っぽいサツマイモでは無かったことは覚えておきたいと思います。


訳あり べにはるか 3kg,5kg,10kg,20kg 大小混載 土付き すり傷・割れあり 鹿児島県産 さつまいも (5kg)

森さんの鳴門金時 さつまいも 2kg




美味しくないサツマイモ品種も、当時を語る上で必要な情報です。

2014-08-07 イバイチについて追記、タイトル更新。
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