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Betelgeuse's Diary

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ハナスベリヒユ(ポーチュラカ)を食べる話と、1990年9月30日大阪花博最終日の花泥棒たちについて

スベリヒユ


畑に生える多肉質の葉をもつ雑草、スベリヒユ。

葉の絞り汁が虫刺されのかゆみを止めるほか、江戸時代以降は食糧不足になったときに食べられる草としても知られています。

味は酸味とぬめりがあり、山形では「ひょう」沖縄では「ニンブトゥカー」など、野菜として食べる地域ではそれぞれの方言名があります。

トルコやギリシャでもサラダに利用されているそうです。

この植物の酸味は、多肉植物の光合成で使われるリンゴ酸です。





ポーチュラカ(ハナスベリヒユ)


1980年代以降、園芸好きの人たちの間で、夏の花壇用にハナスベリヒユがポーチュラカという名前で知られるようになりました。

ポーチュラカはそれまで栽培/半自生していたマツバボタンと同じように暑さと乾燥に強く、大きな花を咲かせ、かつ地面を覆って他の雑草を防ぐグランドカバーとしての役割もあります。

1990年9月30日、国際花と緑の博覧会(大阪花博)最終日は、群集による花壇からの植物略奪が話題となりました。
この博覧会を境にポーチュラカは一般に普及しており、単に博覧会で知名度アップしただけではなく、花泥棒たちの持ち去ったポーチュラカが人々の間に定着したのかもしれません。

ポーチュラカも、スベリヒユと同じく全草が食べられます。

花色が豊富で、花で料理を彩るエディブルフラワーとしても使えます。

暑くて乾いた場所が大好きな植物で、害虫や病気もほとんどありませんが、細菌による青枯病の例があります。

スベリヒユ - Wikipedia

山形県では「ひょう」と呼び、茹でて芥子醤油で食べる一種の山菜として扱われており、干して保存食にもされた。また沖縄県では「ニンブトゥカー(念仏鉦)」と呼ばれ、葉物野菜の不足する夏季に重宝される。

トルコやギリシャでは生または炒めてサラダにする。




ハナスベリヒユ(ポーチュラカ)とは|ヤサシイエンゲイ [archive]

出自のあまりはっきりしない植物で、日本でも夏の雑草として畑などに繁茂するスベリヒユ〔P. oleracea〕とマツバボタン〔P. grandiflora〕が掛け合わさったもの、もしくはタチスベリヒユ〔P. oleracea var. sativa〕の突然変異種とされています。
日本には1983年にドイツから入ってきたとされ、短期間で一気に普及したのは1990年の大阪花博がきっかけではないかと考えられます。



ハナスベリヒユ 新・花と緑の詳しい図鑑 [archive]

高温乾燥を好む一方、多少の雨でも平気な花なので夏花壇の定番になりました
上向きに咲く花は一日花で、ツヤがあって整ったきれいな形をしています。日差しに反応して花が開きますが、マツバボタンほど直射にシビアではありません
葉は肉厚のへら状で、茎も肉厚で赤みがかります。株は横に広がるように伸びます
最近では豊富な花色だけでなく、一重、八重、絞り咲き、花の大小違いの改良種が多く出回るようになりました



ハナスベリヒユを食べた☆|ダメ母おぼえ書き [archive]

夏の雑草スベリヒユを食べている地域があるということで、、野草料理の本を見てみますと、、園芸用のハナスベリヒユも同様に食べられる☆とかいてありましたので、、庭からつんできてお味噌汁に入れてみましたところ、、、茎がしゃきしゃきしておいしかったです。。
一般には、おひたしにしてからし醤油で食べることが多いみたいです。
うんうん、からし醤油あいそう♪という味でしたワ。。。




(53) Ralstonia solanacearumによるハナスベリヒユ青枯病(新称) (平成10年度関西部会)

1997年夏、三重県安濃町で、花壇に植栽中のハナスベリヒユに、葉の萎凋後株全体が青枯状となり、ついには枯死する病害が発生した。




津金澤聰廣氏(桃山学院大学社会学部)の「メディア・イベントとしての博覧会」
http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_13_01_03.pdf [archive]

また、後者は「自然と人間との共生」をテーマとしたが、「花博」の最終日には観客が花泥棒の大集団と化し、1万3千株の花が持ち去られるという事件も起きた。



当時、テレビで騒動を見た吉村智樹氏の感想:
http://blog.excite.co.jp/yoshimura/4506359 [archive]

あの光景は凄かった。花を数本摘み取るとか、そんなかわいいレベルじゃない。植木鉢やプランターを勝手に両脇に抱え、我が子に背負わせ、さも当然といったような素振りで持ち帰るおばはん軍団。しかも係員が制止すると「ええやんか! 今日で終わりやないの!」。確かに劇場や催事場などでは、最終日に祝い花を観客が持ち帰る習慣が往時の大阪にはあった。花博も、たとえ国際イベントであろうが、ナニワンおばはんらにかかれば杉良太郎公演と同じ感覚だったのだ。

 しかも「もともと私らの税金で植えた花やないの! もともと私らの花やないの! ちょっとくらいもろたってかまへんやんか」と食ってかかる。なかには「なにがあかんの? 私らは花を愛してるんよ!」と全力で正当性をシャウトするおばはんアーミーも。愛があれば大丈夫、とばかりに。群集心理もあってか花を持ち帰るおばはんはあとを断たず、「大阪のおばはんが通ったとは草木も生えない」という定説が比喩でもなんでもない事態となったのである。

 このニューズは、いかにも大阪らしい光景として報道されたわけだが、さすがに地元住民からも「大阪の恥」と批難を浴び、以降はこれほどのおばはんパニックは起きていない。



当時の記事:
1990年10月1日 河北新報朝刊 30面

花泥棒の被害相次ぐ
三十日、閉幕した大阪・鶴見緑地の花博の会場で、観客が花壇の花を引き抜いて持ち帰る花泥棒の被害が相次いだ。
「記念に持ち帰ったのだろうが、困ったもの」と花博協会もあきれ顔。同協会は「どうか有終の美を飾って下さい」と場内放送する一方、職員約五十人が急きょ場内パトロール、被害防止に当たった。




同様の事例は、現代の中国でも起きています。
市民殺到「それっ」で30万鉢略奪…警備員「多勢に無勢」=湖北 2012/11/26(月) 17:22:31 [サーチナ] [archive]

中国では、花の展示会などで、会期終了間際になるとに来場者が「略奪」を始める場合がある。






大阪での「トラックからリンゴ略奪」伝説。1984年4月23日、京阪天満橋駅前
1980年代から1990年代にかけては、大阪で一度無料配布のうわさが立つと大略奪が起きることが、全国的に報道された時期でした。


ポーチュラカの普及する1990年代から2000年代にかけて、育種家がさまざまな品種を作り出しています。
私のポーチュラカ・魅せられた10年

いとしきもの: 読みかじりの記:私のポーチュラカ 魅せられた十年(2004年 瀧島英策 著

著者は農林省で、稲、麦、菜種の育種に従事後、農業指導の仕事もされたと経歴を語る。当然、これらは食料としての品種改良で、花より種子が目標だ。84歳の時に「食べられるという点でポーチュラカの虜になった」が、その延長でポーチュラカの品種改良に10年をかけ、94歳の時にこの本を出版した。

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