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Betelgeuse's Diary

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2011年3月11日の地震時、福島第一原発1号機にいた2人の証言を比較してみる

2011年3月11日14時46分の地震と、その後の大津波。

1日後の2011年3月12日15時36分に水素爆発する福島第一原子力発電所1号機は、津波の前に地震で大きく破損していたと現場の作業員が証言しています。

報道された2つを比較してみます。
(A)読売新聞2011年3月16日報道、協力会社男性作業員
(B)神戸新聞2013年9月13日報道、作業員 木下聡さん(65)※2013年8月死去

1号機での作業内容
(A)電機関係の作業
(B)午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業

現地には何人いたか
(A)防護服を着用する必要がないエリアで、同僚数人
(B)1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた
※(A)は4階と判明

地震と揺れの印象
(A)4階:
「立っていられないほどの強い揺れ。横向きに振り回されている感じだった」「これは普通じゃない揺れだと直感した」
(B)1階:
最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつくばった

設備への被害状況
(A)4階:
上階で作業用クレーンや照明などの機器がガチャンガチャンと激しくぶつかり合う音も聞こえた
天井に敷設されていた金属製の配管の継ぎ目が激しい揺れでずれ、水が勢いよく流れてきた

(B)1階:
無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた


所内の停電状況
(A)4階:
建物内の電気が消え、非常灯に切り替わった

4階の指示内容、避難判断
(A)
「その場を動かないように」
「これはやばい水かもしれない。逃げよう」。誰かが言うのと同時に、同僚と出口がある1階に向けて階段を駆け降りた


1階の様子
(A)
作業員でごった返していた
作業服を着替え、被曝ひばく量のチェックを受けなければならないが、測定する機器は一つだけ
細い廊下は長い行列ができていた
激しい余震はその後もさらに続き、「早くしろ」とあちこちで怒声が上がった


(B)
皆で集合して、1号機から脱出した
地震が起きてどれぐらいだったかな。必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな


中央制御室からの指示
(B)
現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに
非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから

※中央制御室については伝聞?報道?で知ったようですね。経緯が不明

海の様子
(B)
タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った
 沖のテトラポットがむきだしになっていた


業務終了
(B)
敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった

津波からの避難
(B)
正門を出た。いつもなら浜側の道を通るが、陥没していたから、山側の道を行った
あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった


設備の劣化状況について
(B)
重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ
追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった
設計基準を大幅に超えていたはずだ


建屋のコンクリートも相当劣化していた
インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白
鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ
施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ


福島原発:津波が来る前に放射能漏れの可能性-地震で既に打撃か(1)-Bloomberg.co.jp[archive]
1号機、津波前に重要設備損傷か 原子炉建屋で高線量蒸気 - 47NEWS(よんななニュース)[archive]
(cache) 1号機 震災の夜に燃料露出直前 NHKニュース





ずれた配管、やばい水!…原発作業員の恐怖証言 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110316-OYT1T00550.htm [archive]

強い横揺れで天井のパイプがずれ、大量の水が漏れてきた――。
東日本巨大地震が発生した11日、東京電力福島第一原子力発電所で、稼働中だった1号機棟内にいた男性作業員の証言から、建物内が激しく損壊した様子が初めて明らかになった。
この作業員は、同原発の整備などを請け負う会社に勤務。昨夏からたびたび同原発で作業しており、地震があった11日は、稼働していた1号機の建物内のうち、放射能汚染の恐れがなく防護服を着用する必要がないエリアで、同僚数人と電機関係の作業をしていた。
「立っていられないほどの強い揺れ。横向きに振り回されている感じだった」。地震発生の午後2時46分。上階で作業用クレーンや照明などの機器がガチャンガチャンと激しくぶつかり合う音も聞こえた。「これは普通じゃない揺れだと直感した」
建物内の電気が消え、非常灯に切り替わった。「その場を動かないように」という指示が聞こえたが、天井に敷設されていた金属製の配管の継ぎ目が激しい揺れでずれ、水が勢いよく流れてきた。「これはやばい水かもしれない。逃げよう」。誰かが言うのと同時に、同僚と出口がある1階に向けて階段を駆け降りた。
建物内で漏水を発見したら、手で触ったりせず必ず報告するのがルール。だが、この時は余震が続いており、放射能に汚染されているかもしれない水の怖さより、このまま原子炉といっしょに、ここに閉じこめられてしまうのでは、という恐怖の方が強かった。
1階は作業員でごった返していた。外に出るには、作業服を着替え、被曝ひばく量のチェックを受けなければならないが、測定する機器は一つだけ。細い廊下は長い行列ができていた。
激しい余震はその後もさらに続き、「早くしろ」とあちこちで怒声が上がった。被曝はしていなかったが、「水素爆発した後の1号機の建物の映像をテレビで見た。あそこに閉じ込められていたかもしれないと思うと今でも足がすくむ」。(影本菜穂子)
(2011年3月16日14時37分 読売新聞)



神戸新聞NEXT|社会|福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201309/0006334811.shtml [archive]

福島第一原発事故が起きたとき、1号機内部にいて、今年8月にがんで亡くなった元作業員の木下聡さん(65)の証言は次の通り。

 ‐事故当時の様子は
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつくばった。
配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらなかったのが不思議。
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
皆で集合して、1号機から脱出した。地震が起きてどれぐらいだったかな。必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。
途中の様子も恐ろしかった。タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。沖のテトラポットがむきだしになっていた。敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
正門を出た。いつもなら浜側の道を通るが、陥没していたから、山側の道を行った。あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった。
東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。設計基準を大幅に超えていたはずだ。
建屋のコンクリートも相当劣化していた。インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。

‐東電への思いは

ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。納得できない。俺は俺で、じたばたして生きてみせる。(聞き手・木村信行)

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