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Betelgeuse's Diary

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『浪越山』(名古屋の由来)と『すゑの松山』(多賀城市)、津波に呑まれた山と呑まれなかった山

平安時代に日本の北部を支配する中枢だった国府・多賀城。869年の津波で避難場所になった高台は、人々が京都にその事実を伝え、変わらぬ恋心のたとえ話になりました。
「末の松山」という、津波が来るまでは「学校の裏山」並みに平凡な地名。そこは生き延びた人にとってノアの箱舟的に神がかりな場所になっただろうこと、そこで助かったのは京都でじかに内容を語れるぐらい高い地位の人々だったこと、話を聞いた人たちが「絶対に沈まない場所かよ!すげえ!」と思えたこと、あたりが想像できます。
【百人一首歌枕巡り】 防災の歌 すゑの松山 「波こさじ」 とは ~869年貞観地震の大津波~ (多賀城・塩釜・利府) コリノリさんの旅行ブログ - 旅行のクチコミサイト フォートラベル [archive]

名古屋なんでも調査団:名古屋の地図 調査!尾張古図と浪越伝説 [archive]
尾張では、年代は不明ですが山を越える波や、それによる広大な池ができ、山は「浪越山」そして「名古屋山」となった…という説が江戸時代にあったそうです。名古屋山は加藤清正が肥後の人夫たちを指揮して工事したときに削られ、整地されて名古屋の市街地になったそうです。池については

地名の五十音で調べられる資料としては『角川日本地名大辞典 23 愛知県』(角川書店 1989 年)があります。同書によると明治 4 年~昭和 56 年まで「布池町」という町名があり、“町名は当地にあった布ヶ池に由来する”とのことで、現在の葵 1~3 丁目・代官町・筒井 1~3 丁目にあたることがわかりました。


名古屋市東区の地名とのこと。真偽についてはおいておくとして、地名が語る伝説は、名古屋という名前そのものが津波フラグだったかもしれないことを伝えています。

大津波がやってきたときに海水が山を越える/越えないというのはとても大きな分かれ道で、それによって「津波でも沈まなかった山」「津波のときは波が乗り越えてくる山」が人々の心に残り記憶されるのですね。
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