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Betelgeuse's Diary

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田母神俊雄『日本は侵略国家であったのか』を眺める

航空自衛隊幕僚長(当時)の田母神(たもがみ)俊雄 氏が、アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集に投稿し、審査委員長・渡部昇一 氏ほかが審査し、最優秀藤誠志賞(懸賞金300万円・全国アパホテル巡りご招待券)表彰となった文章。
happyou06.jpg によると、明治記念館にて表彰式・記者会見が平成20年12月8日16時から、パーティーが17時から行われる。

http://www.apa.co.jp/book_report/ 魚拓
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審査委員のひとり、花岡信昭 氏のブログより
http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/777317/

執筆者の氏名が入っていない論文のコピーがCDで届けられて、それぞれが読み込んだうえで、2回、審査委員会を開いて絞り込んでいった。審査委員の合計得点で最高だったのが、田母神氏の論文だ。だれが書いたものか分からないまま、内容だけで判断した結果である。



論文の内容pdf
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
魚拓

英語版pdf
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu_english.pdf
魚拓

以下は論文のpdfの内容。
振り仮名については()書き、段落は区切り、【】で段落番号を入れ、引用元表示は赤字とし、一文一行とした。

日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄

【1】
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。
我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

【2】
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。
邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

【3】
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

【4】
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

【5】
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

【6】
李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。
李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

【7】
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

【8】
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。
しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

【9】
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。
そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

【10】
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

【11】
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。
そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

【12】
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。

【13】
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。
日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

【14】
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

【15】
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。


使われた書籍・文献のリスト。
 「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」
 「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」
 「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」
 「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」
 「朝鮮総督府統計年鑑」
 「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」
 「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」
 「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」2回目
 月刊正論平成18 年5 月号

段落ごとに一行要約
【1】 旧日本軍は条約・合意に基づいてのみ、軍を配置した。参考文献なし。
【2】 コミンテルンに操られた蒋介石のテロに対して、軍を動かした。参考文献なし。
【3】 張作霖事件なども他国が関与したので、日本のみの責任ではない。参考文献・ユン・チアン、黄文雄、 櫻井よしこ。
【4】 朝鮮と台湾の人口が増えた。参考文献・統計年鑑。
【5】 朝鮮と台湾出身者で、日本軍で出世した例。参考文献なし。
【6】 日本政府は李朝と清朝のプリンスに、皇族や華族を嫁がせた。参考文献なし。
【7】 欧米の植民地支配と日本の支配は異なる。参考文献なし。
【8】 日本は他国との合意の下で軍を動かした。参考文献・秦郁彦(配置人数のみ)、渡部昇一。
【9】 すべてはコミンテルンのしわざだったんだよ! 参考文献・月刊正論。
【10】 戦っていなかったら欧米の植民地だった。 参考文献なし。
【11】 アジア・アフリカの今は、日本のおかげである。 参考文献なし。
【12】 安保・竹島・北方領土について。著者の感情。
【13】 自衛隊の行動制約は東京裁判のマインドコントロールであるとの主張。
【14】 日本軍は東南アジアで好評である。参考文献なし。
【15】 日本ってすばらしい。著者の感情。

東京新聞:『小学校から勉強を』 「低レベル」論文内容 識者らあきれ顔:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
都留文科大の笠原十九司(とくし)教授(日中関係史)

「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、日本の当時の行為は完全に当てはまる。(昭和初期の)三三年にも、日本は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」

纐纈(こうけつ)厚・山口大人文学部教授(近現代政治史)

「根拠がなく一笑に付すしかない」

「日本の戦争責任資料センター」事務局長の上杉聡さん

「特徴的なのは、満州事変にまったく触れていないこと。満州事変は謀略で起こしたことを旧軍部自体が認めている。論文は『相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない』というが、満州事変一つで否定される」

小林節・慶応大教授

諸国に仕掛けられた戦争だったとしても、出て行って勝とうとしたのも事実で、負けた今となって「はめられた」と言っても仕方がない

水島朝穂・早大教授

内容のひどさは言うまでもないが、最高幹部が底の抜けたような政治的発言をして三百万円もの賞金をもらうのは資金援助に近い


日本は侵略国家であったのか - 池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/64997180aceb68c1cc4902d31e47e594

いま話題の田母神俊雄航空幕僚長の論文は、「ハル・ノートを書いたのはコミンテルンのスパイだった」とか「盧溝橋事件は中国共産党の謀略だった」などという初歩的な事実誤認だらけで、論旨も『正論』の切り抜きみたいなものだ。

【1】「国際法上合法的に」について、

これは戦前から変わらない日本の官僚機構の実定法主義を端的に示している。この論理でいけば、ヒトラーもムッソリーニも合法的に権力を掌握したので、問題はないことになる。


田母神空幕長の更迭 : 週刊オブイェクト 魚拓
http://obiekt.seesaa.net/article/109052973.html

碌に主張の根拠も示さず、参考文献の引用も明記せず、書かれている事は正しい箇所よりも間違っている箇所のほうが遥かに多く、陰謀論だらけで見るに耐えません。年表や人名などの単純ミスも数多く、資料を読まずにウロ覚えで書いてチェックもしていない様子が見て取れます。これ、全然真面目に書いてない文章ですよ。


asahi.com(朝日新聞社):田母神氏が会見、「政府見解は検証されるべきだ」 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html 魚拓

政府は95年、アジア諸国に謝罪する村山首相談話を閣議決定。麻生首相も継承する考えを表明している。田母神氏は「これほどの大騒ぎになるとは予測してなかった」としながら「政府見解に一言も言えないのでは北朝鮮と同じだ」と述べ、国会への参考人招致があれば「積極的に応じる」と述べた。最優秀賞の懸賞金300万円についても受け取る考えを示した。

 一方で、論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言い難いとの指摘には「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」。制服組の高官が政府見解を公然と否定したことで、文民統制の観点からも問題視されたが、田母神氏は「辞めろという政治の決定に従っている」と述べた。


石破茂(いしばしげる)ブログ: 田母神・前空幕長の論文から思うこと
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html

田母神氏がそれを読んでいたかどうか、知る由もありませんが、「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。


 「東京裁判は誤りだ!国際法でもそう認められている!」確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から「やりなおし」ができるのか。賠償も一からやり直すのか。
 「日本は侵略国家ではない!」それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。「遅れて来た侵略国家」というべきでしょう。
 「日本は嵌められた!」一部そのような面が無いとは断言できませんが、開戦前に何度もシミュレーションを行ない、「絶対に勝てない」との結論が政府部内では出ていたにもかかわらず、「ここまできたらやるしかない。戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。


朝日新聞朝刊2008年11月11日(火) 2面に、秦郁彦、保阪正康 両氏による検証記事あり。
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081112 魚拓

全体を通じて

秦 論文というより感想文に近いが、全体としては稚拙と評せざるをえない。結論はさておき、その根拠となる事実関係が誤認だらけで、論理性もない。

保阪 かつて兵士たちが生還して色々なことを知ったとき、「日本もむちゃをやった」と素朴な感慨を持った。われわれはそこからスタートしている。昔の日本に批判的なことを「自虐史観」というが、「自省史観」が必要なのだ。ナショナリズムを鼓吹した時、それは偏狭な運動になる。歴史を誇るのであれば、事実に謙虚でなければ。


週刊朝日11月28日号に、秦郁彦、田岡俊次 両氏による論評あり。
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 魚拓

秦 ええ、ええ(笑い)。コミンテルンの陰謀論が四つも五つも出てくる。歴史上の出来事はすべて特定の人間や団体の陰謀によって起きたという「陰謀史観」を唱える人は少なくないが、ふつうは一つか二つしか出さないものなのに。(笑い)

田岡 彼によれば、コミンテルンが蒋介石も米国も日本も、世界中を手玉にとったことになります。(笑い)


秦 今後、第二、第三の田母神が出てくる可能性があるわけですね。

田岡 そう思います。第十、第百もいるでしょう。というのも、防衛大学校の入試では歴史は必要ないんです。歴史知識を持っていない人は、心地よい偏った歴史を教えられると、白紙に墨汁をたらすように染まる。全般的に、自衛隊幹部の質は急速に低下していますから。



今回の件で浮かんだポイントを並べてみる

(1) 上級官職の人が、組織批判コラムを書いた。 ←自分の職業と立場を理解していない。
(2) そのコラムを発表した。 ←自分の影響力を理解していない。武力を扱う人間が、武を発揮するための舞台を破壊している。
(3) そのコラムが論文という名目で投稿された。 ←しかし、論理と証拠をそろえていない。
(4) 投稿先が300万円の懸賞で、そのトップにならないと発表されない。 ←出来レースの疑い。
(5) 以上4点から、職業に適性があったのか、疑わしい。←なぜこの地位となれたのか。

(6) 「論文(笑)」とみなす、何らかの形でレポート・小論文などを書いたことのある人と
  「言っていることはもっともだ」とみなす、思っているよりも戦前は良かったのかもしれない派の人に意見が分かれた。
 ←ソースは?証拠は?という人が、思ったよりも増えているのかもしれない。
 ←しかし「戦前は善政だったから善政なのだ」というぐるぐるとした論法もかなり普及しているようだ。

(7) 60歳の政府官職者とは、皆が考えているよりもはるかに愚かなのではないか?という疑問を、人々にもたせた。 ←権威の失墜。
(8) その人物を罷免と定年退職させるだけしか処分方法がない、という制度に疑問が発生した。 ←権威の失墜。

(9) 懸賞論文で審査を通った文章、というものへの疑問を、人々にもたせた。 ←権威の失墜。


2008-11-03追記
 コメント欄での指摘により、【8】一行要約の秦氏の名前の後ろに(配置人数のみ)を追加しました。
 受賞者一覧とpdfについて魚拓を示しました。
2008-11-04追記
 週刊オブイェクトおよび朝日新聞の田母神氏会見を追記しました。今回の件のポイントを並べてみました。
2008-11-04追記 石破茂ブログを追記しました。
2008-11-14追記 ホドロフスキの記録帳-朝日新聞朝刊掲載記事について追加しました。
2008-12-06追記 ホドロフスキの記録帳-週刊朝日掲載の秦郁彦、田岡俊次による論評を追加しました。
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コメント

>【8】 日本は他国との合意の下で軍を動かした。参考文献・秦郁彦、渡部昇一。
これは正確には誤りですね。
『盧溝橋事件の研究』を参考にしている部分は、
「当初2 600 名の兵を置いた」「36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名」
の2点ですから。
この書き方だと満州事変や盧溝橋事件について秦郁彦氏がそのように書いているかのように見えてしまいます。

  • 2008/11/03(月) 18:46:50 |
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