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眼帯と茶釜自爆は昭和生まれ~伊達政宗と松永久秀の新伝説はどう育ったかQ&A~

以前書いた記事は量が多すぎるので、軽量化したQ&A形式としてみました。

<伊達政宗>
Q1. 伊達政宗は右目に眼帯してなかったって本当ですか。
Q2. 伊達政宗は右目がつぶれていなかったって本当ですか。
Q3. それでは眼帯でもなく右目を開けている伊達政宗はどう描けばいいのですか。
Q4. 江戸時代、伊達政宗の右目がつぶれる話とはどういう内容ですか。
Q5. 1942年の映画『獨眼龍政宗』で、なぜ伊達政宗は目に矢が刺さり眼帯することになったのでしょうか。
Q6. 創作された眼帯のひとつ、刀鍔眼帯はどう普及していったのですか。
Q7. なぜ伊達政宗の眼帯姿は創作にもかかわらず維持されているのでしょうか。
Q8. 伊達政宗オッドアイ説をTwitterで見かけました。あれは何ですか。
Q9. 伊達政宗は像に両目をつけろと遺言したのだから、真偽はわからないのではないですか。


<松永久秀>
Q1. 松永久秀は平蜘蛛茶釜に火薬を詰めて自爆してなかったって本当ですか。
Q2. 松永久秀が茶釜と自爆してないなんて残念です。自爆につながる逸話は何かないのですか。
Q3. 松永久秀の自爆は講談で創作されたものではないのですか。
Q4. 松永久秀はいつごろから自爆するようになったのでしょうか。

<伊達政宗>


Q1. 伊達政宗は右目に眼帯してなかったって本当ですか。
A1. 当時の記録に目を覆ったものはなく、眼帯は作り話です。
最古の政宗の眼帯姿は1942年の映画で、目に矢が刺さり治療行為で眼帯を着け治ったら外す、明らかに創作されたものです。


Q2. 伊達政宗は右目がつぶれていなかったって本当ですか。
A2. おそらく政宗に右眼球はあったようです。
天然痘による失明であると政宗が語ったのは『木村宇右衛門覚書』に書かれています。
各種の図像や遺骨からは水晶体の白濁ではないかと考えられます。
独眼竜という言葉は後世つけられたものです。


Q3. それでは眼帯でもなく右目を開けている伊達政宗はどう描けばいいのですか。
A3. 右目をやや細め白く描けば十分です。
宮城県で瑞巌寺が所蔵している甲冑姿の木像は、政宗の家族公認の姿です。
京都府の東福寺霊源院が所蔵している政宗の肖像画は歴史雑誌のカバーにも使われました。
仙台市博物館所蔵の肖像画は老いた政宗の姿です。


Q4. 江戸時代、伊達政宗の右目がつぶれる話とはどういう内容ですか。
A4. 片倉小十郎景綱と政宗が二人で政宗を外科治療する3つの話があり、ひとつが脇腹でふたつが目玉です。
『木村宇右衛門覚書』では、政宗が語った内容として、政宗の右わき腹を片倉景綱がお灸として焼いた丸金で荒療治しました。
『明良洪範』では、政宗の目玉が飛び出し片倉景綱が切るよう勧め、政宗が自分で切りました。
『性山公治家記録』では政宗の失明した目玉が盛りあがり片倉景綱が小刀で潰した言い伝えがある、と書いています。
3つの内容は類似していて、脇腹が本来の話のようです。


Q5. 1942年の映画『獨眼龍政宗』で、なぜ伊達政宗は目に矢が刺さり眼帯することになったのでしょうか。
A5. 原作小説の石坂洋次郎『小さな独裁者』にはないシーンです。
当時の国定教科書には、後三年の役で目に矢が刺さるが矢を抜かれるときに屈辱的な態勢は拒否する鎌倉権五郎のエピソードが記載されており、勇ましく英雄的な行動だったようです。
また『明良洪範』の政宗目玉手術話では片倉景綱が鎌倉権五郎のことを政宗への説教に用いており、これも伊達政宗と鎌倉権五郎を結び付ける材料となったのではないでしょうか。


Q6. 創作された眼帯のひとつ、刀鍔眼帯はどう普及していったのですか。
A6. 創作上で片目を失っている柳生十兵衛は映画『柳生武芸帳 剣豪乱れ雲』の演出で1963年から眼帯を柳生鍔で覆うようになります。
これにより片目の武士が顔に眼帯や刀鍔をつける奇妙な光景が受け入れられていったようです。


Q7. なぜ伊達政宗の眼帯姿は創作にもかかわらず維持されているのでしょうか。
A7. NHKがテレビ番組の歴史ドラマや歴史検証番組で、眼帯姿の政宗を使い続けることにあります。
このため読者の期待する姿にこたえるため、歴史小説や歴史雑誌などが表紙で眼帯姿の伊達政宗イラストを掲げています。
仙台市博物館や墓所の瑞鳳殿などは、眼帯が無いと苦情する人々に実際は違うことを説明しつづけていますが、NHKの影響力には及ばないようです(『伊達政宗と時代劇メディア』)。


Q8. 伊達政宗オッドアイ説をTwitterで見かけました。あれは何ですか。
A8. 伊達政宗は眼帯をしているという思い込みから、さらに想像を加えて2009年にテレビ東京の歴史ネタ番組で作られた姿です。
番組中では政宗の母親の夢に現れたという僧をスペイン人とみなすなど、細部でも無理があるものでした。


Q9. 伊達政宗は像に両目をつけろと遺言したのだから、真偽はわからないのではないですか。
A9. 『木村宇右衛門覚書』で伊達政宗は武田信玄の不動明王姿の木像を恥と語り、自身の死後の像は目を修正するよう命じています。
伊達政宗の肖像の目の表現は複数あり、遺言をどう解釈しどこまで守ったかは不明です。


織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などさまざまな人物が肖像画をベースに新規絵を描かれるなかで、なぜ伊達政宗を描くときには演じた俳優とその姿を念頭に作られたゲームイラストなどへ寄せる努力をする(その過程で眼帯をつけてしまう)のでしょう?


<松永久秀>


Q1. 松永久秀は平蜘蛛茶釜に火薬を詰めて自爆してなかったって本当ですか。
A1. 自爆はしていません。
当時の『多聞院日記』『兼見卿記』などの記録でわかるのは天守閣に放火し切腹して死亡する松永久秀です。


Q2. 松永久秀が茶釜と自爆してないなんて残念です。自爆につながる逸話は何かないのですか。
A2. のちに自爆に変化したと考えられる内容が『川角太閤記』にあります。
それによると、明智秀満が坂本城で自殺するときに宝物は焼けないように敵に渡しますが、明智光秀にゆかりのある脇差は手放しませんでした。
坂本城落城を見た人々が「信貴山城で切腹した松永久秀が平蜘蛛茶釜を手放さなかったのにそっくり」「天守閣の外からの呼びかけに松永側は切腹後の首と茶釜は火薬で破壊すると返答した」と噂していた内容です。


Q3. 松永久秀の自爆は講談で創作されたものではないのですか。
A3. 講談では自爆していません。
豊臣秀吉の伝記としてもっとも古い太田牛一『大かうさまくんきのうち(太閤様軍記の内)』では松永久秀は焼け死んでおり、平蜘蛛茶釜をうちくだいたと書いています。
明治期に描かれた松永久秀はこの表現を原典としているようで、「壺」を投げつけて割り、切腹するか炎の中に姿を消す人物です。


Q4. 松永久秀はいつごろから自爆するようになったのでしょうか。
A4. 1950年代に中山義秀や井上靖は、松永久秀が火薬で頭を割ると小説で描写しはじめ、死因が切腹や焼死からずれはじめます。
歴史家の桑田忠親はある時期までは自決や切腹と書いていますが、1975年のテレビ出演で織田信長に茶器も首も渡したくないと意地をみせる松永久秀を強調するようになり、死後に出版された1989年の戦国武将を扱った自著で久秀は茶釜と自爆したと書いています。
松永久秀が自殺前に茶釜に火薬を詰め茶釜爆弾を製造する描写、天守閣が爆発する描写も、1990年代に普及しています。
2000年代以降では、漫画・アニメ『へうげもの』、NHK大河ドラマ『功名が辻』『軍師官兵衛』などで松永久秀は自爆しています。



戦国武将の特定のエピソードを推しすぎると、当時を考える材料のひとつにすぎなかったものが伝説として育っていくようです。





もっと詳しく:
伊達政宗の眼帯は1942年の映画で初登場し、1987年にNHK大河ドラマで半歴史化
【伊達政宗・眼帯化への道】右目は伝承でなぜ飛び出したことになったか
松永久秀ボンバーマン自爆説は1975年、南條範夫&桑田忠親が出演したNHK歴史番組で発生した誤解から?

NAVERまとめダイジェスト版:
伊達政宗はいつから眼帯をしているか? 歴史と創作のあいだ、起源と由来
【こうして切腹が爆死に】松永久秀は1950年代から自爆しはじめ、1990年代に茶釜爆弾へ
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術



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