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国歌「君が代」の歌詞選び&初代曲づくりの過程が面白すぎる!

1869年(明治2年)。

英国から貴賓が来る!日本国歌演奏が必要なのに国歌がまだない!と慌てる現場担当者たち数名。

上司に聞いてみると「お前たちなんのためにいるの?なんとかうまいことやるのが仕事だろ」と丸投げ。

担当者の一人「大奥の新年を迎える儀式で使う和歌に、天皇陛下バンザイの意味にも使えるめでたい歌詞があったような…」

別の一人「その歌詞、うちの地元の歌にもあった!こんな感じの(歌う)」

演奏予定の英国楽団長「その歌をもとに作曲してみたよ」

さまざまなどさくさによって「君が代」の歌詞が選ばれて初代のメロディができていく話が、当時の担当者で初代曲メロディの琵琶歌を歌ってみせた原田宗助(原田宗介 はらだむねすけ)によって語られ、『海軍七十年史談』に記録されています。


アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)の来日は1869年8月29日(明治2年7月22日)。


初代「君が代」メロディ


この歌詞選びと「ウィリアム・フェントンが作曲」とされるまでの事情が、澤鑑之丞『海軍七十年史談』339ページから343ページに書かれています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062905/180



國歌「君が代」の歌詞選出の由来
世界に冠たる我が國歌「君が代」について、その由来と題する著書は数種ある。何れも作曲以降今日の名譜を得る迄の説明で、その歌詞を何人が選んだかに就いては更に知るものがないやうである。

抑々今日に於ける何々歌詞の選定の如きは、委員を設けるか、又は懸賞の方法によるかである。

旧時はこれ等の選定の場合は、名望家の発意に基づくか、時にはふとしたチャンス、若しくはヒントを得て偶然決定することがあった。
即ち我が國歌に「君が代」の歌詞が選出されたのは、偶然の成行から來たものと云ふべきである。



今なら委員会を作ったりコンペで決めたりする重要なことも、昔は有力者のツルの一声で決まったり偶然にできたりした。
君が代の歌詞は偶然によるものだった。


老生が海軍省在勤中、屡々海軍造兵總監、原田宗助より承はつた國歌に君が代を採用した由來を記し、各位の御参考に供したい。

明治二己巳年、英國の貴賓を饗應する爲、場所は舊濱御殿(今の濱離官)内廷遼館と定め、当時太政官代はあったがまだ藩政時代なので、軍務官に於て萬事取計はるゝこととなり、先づ各藩より英語に堪能なものを選び、接伴掛を命ぜられた。
鹿児島藩よりは原田宗助、静岡藩よりは乙骨太郎乙その他數名であった。



澤鑑之丞(さわ かんのじょう)が、原田宗助(はらだ むねすけ)から昔話として何度も聞かされた話。
イギリスの王族が来るので英語ができる数人が接待担当者に選ばれた。
原田や、静岡藩の乙骨太郎乙(おつこつ たろうおつ)もメンバーだった。


 貴賓の来朝が程ちかくなった頃、英國赤隊の軍樂隊長フェントンより接伴掛へ間合せがあった。
愈々の場合、日英兩國の國歌を奏する必要がある、日本の國歌は如何なるもので宜しいかとのことである。
ところが英語は相當素養はあるがまだ國歌といふものを承知してゐない。
且つ本邦に於てはこれの規定など耳にもしなかつたので、何れも顔見あはせ、どうしようかと協議の上ヽ軍務官に伺出る外致し方がないと決定し、原田接件掛は直ちに指揮を仰ぐ爲、軍務官に駈付けたところが、折柄何か幹部は重要会議中であった。



国歌はまだ決まっていないのに楽団長のフェントンは国歌演奏が必要だという。
担当者は上司に判断してもらうことにした。



念用の旨を申入れたところが、川村純義が縁端に立出られ、原田より國歌について英國樂長よりの申出の委細を聞き取られ、些と興奮の気味合で、
「おはん方を接伴掛としたのは、今度来朝あらせらるゝ英國貴賓饗應に付て萬亊不都合なかんごつ取計らって貰ふ爲ぢや。それを何ぞや、そげん事を一々問合はせに来る必要はない。何ごつによらず掛員が相談の上、饗應については手落なくよか様に處辨し、御來著も間近き事ぢやからその邊を心得、手落ちのないやう取計うてよか」
と、ケンモホロロの挨拶で急いで会議室へ行ってしまった。
 原田接伴掛はやむなく濱御殿へ歸り、その旨委細を報告したので掛員は頗る閉口。



会議で忙しい上司は、わけのわからない理屈で現場任せにしてしまった。
(鹿児島弁のセリフが面白い)


然らぱどうしようかと種々協議の末、乙骨掛員の發意で何か古歌中より選定しようといへぱ、一同はこれに同意した。
幸ひ乙骨掛員の思ひ俘ぺたのは、舊幕府時代に徳川將軍家大奥に於て、毎年元旦に施行された「おさゞれ石」の儀式である。
その時唱ふる歌に、
「君が代は干代に八千代にさゞれ石の いはほとなりて苔のむすまで」
 とある。これなら陛下に對し奉り聖寿萬歳を寿ふぎまつることになつて、最もよろしいだろうと評議が一決した。(この儀式は國主大名にも同様の行事があったと云ふ)
而してその歌飼の唱へ方はどうしようかといふことになり、原田掛員の申出に、我が鹿児島に於て演奏せる琵琶歌中に蓬莱山と云ふ古歌があり、それにも又君が代の歌飼がある。
今は猶豫すべき時ではない。僕がその節で唱ってみようと、「君が代」は云々とこれを演じた。
早速フェントン樂長を招き數囘繰かへす内に、樂長は節々に注意し、作曲出来せりといって樂隊員を集め、その練習を開始した。
これが即ち我が國歌「君が代」が世の中に出現した由来である。



乙骨「古歌から選ぼう!大奥の「おさざれ石」の儀式で使ってたあれとか」
原田「地元の鹿児島ににその歌詞の歌があるよ」
フェントン「そのメロディで作曲してみた」


この先に曲が改訂されたいきさつと、大奥や大名家で元旦に行われる「おさざれ石」の儀式の説明、乙骨太郎乙や原田宗助のプロフィールが記載されています。

いつの時代も、現場担当者が権限外のことをさせられる話があるようです。

原文(画像)
海軍七十年史談 澤鑑之丞 「君が代」成立についてのエピソード
海軍七十年史談 澤鑑之丞 「君が代」成立についてのエピソード
海軍七十年史談 澤鑑之丞 「君が代」成立についてのエピソード
海軍七十年史談 澤鑑之丞 「君が代」成立についてのエピソード
海軍七十年史談 澤鑑之丞 「君が代」成立についてのエピソード


動画にまとめておく
https://www.youtube.com/watch?v=ttv4Erdv9Q8

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