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怪獣のような扱いだったアメリカザリガニの宮城県侵入(1938年)

大正時代に日本に持ち込まれ、逃げ出して繁殖したアメリカザリガニ。
現在でも、小さな湿地に侵入されてトンボなどが壊滅的な被害を受けることがある「要注意外来生物」 です。

アメリカザリガニが日本各地に分布を広げていく中で、初見の人はどういう感想だったのか。
昭和13年(1938年)宮城県に侵入したときの、水田に恐ろしい被害を与える怪生物として扱った新聞記事がありました。


河北新報 昭和13年9月10日7面より

奇怪、北米産”ザリカニ”
栗原郡志波姫村で発見
問題は輸入経路
【仙台】原産地は北米ニューオルレアンスだと学会に発表され、我が国には全く棲息せぬと見られていた「極めて有害にして奇怪な」蟹の一種が宮城県栗原郡志波姫村刈敷部落の小川で発見され、学会の新しい研究話題となって登場した。
 問題の怪物は先月末昆虫採集に熱心な同村青年学校教員小野寺辰雄氏が発見したもので余りの奇怪さに数日前、斯界の権威である東北帝国大理学部生物学教授朴澤三二博士に正体を訊ねて来た。
朴澤博士の鑑識によるとこの昆虫は十脚の目尾尾亜目の爬行長尾班の「ザリカニ」といふ名前のもので、一見すると写真のようにえびとカニの混血児の如き異様なスタイルだ。日本固有の在来種(三種ある)よりは三倍も大きくて身長が約三寸、濃褐色で触角も長い、困ったことには巣を営むために水田の畔や川の堤防に深く穴を掘って水を洩らしたり、稲を鋏で切ったりする極めて不届き千万な有害虫であるといふ、土地に慣れてくると繁殖力が旺盛だとあっていよいよ以て困りものだ。
 然も問題なのはその小川に現はれた経路である。過ぐる大正十三年北米から神奈川県大船郡岩瀬村へ学術研究用として輸入した当時逃出して附近水田に侵入し大騒ぎとなったことがあり、朴澤博士が警告を発した代物だった。
 神奈川県からはるばる進軍して来たものか、北米から直接やって来たか、誰かが飼育中逃げられたのか害虫だけにその経路もまた問題なのである(写真はそのザリカニ)


1938年アメリカザリガニが宮城県へ侵入、当時は「ザリカニ」

外来種のアメリカザリガニと違い、清流で落ち葉を食べているニホンザリガニのほうは東北地方の山間部では当時それほど珍しくはなかったはずですが、平野がほとんどの宮城県ではザリガニ類そのものが怪物扱いされていました。
大学教授の鑑定で当時は「ザリカニ」と呼ばれています。

下記で、「写真週報」(昭和17年8月5日号)東京都での駆除作業記事が扱われています。
戦時下の東京葛飾ザリガニ殲滅戦 - 「老人タイムス」私説[archive]

この記事によると、ザリガニは大正11年頃、アメリカから観賞用に一好事家が輸入したものだが、気候風土が適していたのか東京近郊の水田にまたたく間に繁殖。



この記事では「ザリガニ」。どうやら昭和13年から17年の間に、学術的か報道的な何かが決定されてるようですね。
こうしてみると、アメリカザリガニの日本での起源としては大正13年神奈川県のウシガエル養殖場説のほかに、大正11年東京都のペット説もあるようです。

メダカを追いかけるザリガニがメダカを食べるまで - YouTube


ザリガニの中にキスを入れたら - YouTube


生け捕りにしたゴキブリをザリガニにあげてみた - YouTube




酒向昇-食用蛙とアメリカザリガニ その渡来年をめぐって[archive] によると、神奈川県にある食用蛙の養殖場にアメリカザリガニが餌生物として持ち込まれたのは1927(昭和2)年。

その後に、芳之助の遺品となって晴子の手許に渡ったアルバムの渡米記録によれば、芳之助の横浜発は1927(昭和2)年3月某日の春洋丸であり、3月12日には日付変更線を越えていた。アルバムには、商用のため各地に行った風物、さらに、蛙の生息する沼沢や取引相手のPercy Vioscaの写真もある。その最後に、注目すべき一葉の写真があった。色あせたこの写真には、“昭和2年5月12日横浜へ入港の大洋丸”と添え書きされている(図3)。
 このときのことは、弟の河野卯三郎遺稿集『吾輩はお魚である』(“お魚”は八高教授時代のニックネーム、1974年12月、自費出版)の一節に、次のように記されている。
“当時米国に居た私の愚兄(芳之助)が、日本に帰るとき生きたブルフロッグと、その餌であるアメリカザリガニを、ビヤダルに一杯持参し、大船の田園都市の近くに水田を改造して養蛙池を造り、蛙をザリガニと共に放養したところが、そのザリガニが野生になって大船一帯に繁殖したのが、アメリカザリガニが日本に渡来した始めである”




日本にアメリカザリガニが帰化する前、大正時代初期の図鑑では東北や北海道の清流にいるニホンザリガニの記載だけです。ザリガニは小さすぎて食糧にはされていない、ヨーロッパ産種は脱皮後が美味だとしてドイツで養殖されているという内容で書かれています。
国会図書館デジタルコレクション - 日本水産動物学.  下巻 増訂3版


須田孫七(すだ まごしち)さんによると、杉並へのアメリカザリガニ侵入は昭和7年(1932)年以降。
1トンボから見た杉並の変遷 戦前~戦後編|すぎなみ学倶楽部[archive]

ザリガニは昭和6年以前、杉並には生息していなかった

―― では、子供の頃はザリガニ取りをして遊んだのですか?
須田 実はザリガニは昭和6年までは杉並にはいませんでした。
―― え!在来種のザリガニはいないんですか?
須田 在来種は東北~北海道に生息しています。だからそれまではいなかったのです。これは歴史がはっきりしていましてアメリカザリガニは大船で食用ガエルの餌として飼われていた約250匹が洪水で脱走して以来日本中に生息域を広げたんですよ。
―― じゃあ、ザリガニ取りは…。
須田 もちろん戦時中は食料としてよく捕まえましたよ。いつもバケツ一杯捕まえていましたよ。






1949(昭和24)年当時、大人たちと子供たちがアメリカザリガニにどういう反応を示していたのかを物語る漫画がありました。この漫画中で大人たちは「えびがに」と呼んでいます。大人は水田を荒らすアメリカザリガニに困り、子供たちはカエルの身を餌にしてザリガニを釣って持ち帰り、家庭で食用としています。
国立国会図書館デジタルコレクション - トラノコトラチャン 新関健之助 著、金の星社
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
新関健之助 著『トラノコトラチャン』金の星社、1949年
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