つまり馬が崖から落ちた場所。
死んだ馬が、伊達家の老臣たちにとっては大坂冬の陣についていけない自分たちの代弁者に見えたことが伺える話です。
仙台城本丸の崖の下、テニスコートの前にあります。
観光バスでは、博物館・国際センター前のバス亭から、長沼ぞいに数分歩きます。
政宗の馬をまつった神社は明治時代に仙台市中心部に移転し、現在は小さい稲荷の社だけがあります。
由来が書かれた看板は何もないので、知らない人からは怪しい心霊スポットと呼ばれることもあります。
鳥居が倒れている時期
腐った鳥居は撤去
高画質
2014/03/07








伝説については、移転した神社のほうに看板あり。こっちはもともと修験道の屋敷だったそうです。
馬上蛎崎神社の由来
藩祖政宗公に、功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。
年老いて慶長19年(西暦1614)十月、公の大阪出陣に洩れた事を悲しみ、本丸の崖から飛下り死亡した。
依ってその地、蛎崎に葬り、馬上蛎崎神社を建てて祀り追廻馬場の守護とした。
明治4年、片平丁の旧一門格・修験良覚院跡に移して社殿成り、桜田如水を宮司として、市民の間に五島墓(ごとはか)さんと称して親しまれた。
古来旧三月十五日、草餅を笹に付けて門口に挿し病送りとする梅若のコトの日を祭日としたが、後ち、八月一日二日に改めた。
子供の馬脾風(ばひふう ジフテリヤ)除けの信仰があり、胡桃を奉納する。
三原良吉誌
・伊達政宗が大阪に出陣するころ
・老馬だった五島は仙台城本丸から転落死した
・崖の下の蛎崎(かきざき)に神社を建てた
・その前に広がる追廻(おいまわし)馬場の守護神となった
・馬つながりで子供のジフテリヤ(馬脾風)除けのご利益ありといわれる
・明治時代に、蛎崎から片平(かたひら)へと移転
・片平では「ごとはかさん」と呼ばれた
・お祭りはある時期までは旧3月15日、それ以降は8月1日2日になった
・クルミを捧げる
という由来ですね。
馬については、ゴトウ、ゴトグロという名はあるものの、当て漢字はいろいろのようです。
仙台市界隈にある動物の墓としては前に記した茂ヶ崎村(もがさきむら)根岸(ねぎし)宗禅寺(そうぜんじ)の鶏の墓、元追廻(もとおいまわ)しの原にあつたのを移した仙台市片平町(かたひらちょう)二丁目横丁にある午頭(ごとう)ヶ墓、
富田広重「滅び行く伝説口碑を索ねて. 第1輯」p.3

政宗の愛馬/後藤黒(五島黒) - ひーさんの散歩道
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